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王子の恩返し(FEエンゲージ スタ×ラピ)

  • kazenoryu-beibei
  • 2023年5月21日
  • 読了時間: 15分

 彼は目をパチパチとさせて、天井を眺めていた。

 傍らでは侍医と臣下達とが深刻な顔を合わせている。彼らが自分のためにそんな顔をしているのだと、彼は理解していた。けれどもまず前提として、自分がなぜ、寝台にいるのか――彼の意識としてはつい今しがたまで、机に向かって書き物をしていたのだ――理解できずにいた。

「お風邪を召されたようです」

 と、侍医が言った。実際、身体は泥に浸かっているかのように重い。連日の無理が祟ったのだろうという言葉に、彼はようやく、己の状況を把握するに至った。


「すみません」

 何よりも先に、謝罪の言葉が出た。

 臣下達が視線を向けてくる。

「意識が戻ったんですね」

「はい……ご心配をお掛けしました」

「ああ、まだ起きちゃ駄目です! ゆっくりしていてください」

「ですが」

 まだ目を通さなければならない書類が残っているのに、と。言いかけて彼は口をつぐんだ。シトリニカもラピスも、彼の起床を望んでいないというのが伝わってくる表情をしていたから。

「薬をご用意しますので」

「お願いします」

 ラピスが侍医に頭を下げた。



 シトリニカは眉間に手をやって言う。

「仕事のし過ぎで倒れるなんて、スタルーク。あなたって本当に」

「ごめんなさい……」

「いいのよ。止めなかったわたし達にも非はあるんだから。――書類の事なら心配しないで。陛下とも相談して、わたしが処理する事に決まったから」

「シトリニカが?」

「ええ。貴族達の要求も、巧くかわしておくわ」

 シトリニカは政にも明るく、駆け引きにも慣れている。彼女に任せるのであれば、心配は無用なように思われた。


 ただ、申し訳ない気持ちはあって。

「ラピスは、スタルークが無理をしないように見張っていてくれる?」

「ええっ!?」

 続くシトリニカの言葉に、異口同音に驚きの声が上がった。

 彼はラピスの顔を見やる。ラピスもこちらを見ていた。頬が赤い。

「見張りって……そんな、子供じゃないんだから」

「じゃあ、看病で」

「シトリニカ」

「そうですよ、ラピスも忙しいんですから」

 自分ひとりでも大丈夫だと、微笑おうとして。

「けほっ」

「スタルーク様!」

 喉を締め付けられるような感覚。

 咳が止まらない。ラピスが背中をさすってくれる。


 それでいくらか気持ちが落ち着いたのだろう。咳がゆっくり遠ざかっていく。

「……ありがとうございます、ラピス」

「いえ」

 まだ呼吸が覚束ないために、涙声になっていた。情けない姿を彼女に見せることへの抵抗や、何よりも風邪をうつすのではないかという心配はあったけれども。

「都合が合わないようなら、侍女を選んで」

「そ、それは駄目!」

「ラピス?」

 シトリニカの言葉を、ラピスが遮った。大きな声に彼は目を見開いていた。

ラピスはハッとしたように項垂れて、

「スタルーク様が、お嫌でなければ……あたしが」

「まさか」

 嫌なはずがないじゃないですか、と。

先程の心配事は、綺麗に消し飛んでいた。まるでラピスを拒む理由など一つもない心地で彼はいた。

「ラピスこそ、迷惑なのではないですか」

「あたしは大丈夫です。だから、あたしにやらせてください」

「他の子がスタルークの傍にいるのは不安?」

「そ、そんなんじゃないけど!」

 相棒のからかうような声に、ラピスは顔をいよいよ赤くして。



「でも、一緒に居られる時間が増えるのは……嬉しいかな、って」

「ラピス……」

 考えてみれば、このところは仕事の多忙さを理由に、共に過ごす時間を減らしてしまっていた。

それで彼は焦っていたのだ。一刻も早く仕事に区切りをつけて、彼女に会いたいと。それが今回の結果を招いてしまったのだが――


「では、そのようにしましょうか」

 シトリニカが場を仕切り、ラピスの申し出は決定事項となった。

 彼は枕に頭を沈めつつも首を動かして、ラピスを見た。

 ラピスは項垂れたまま、ちらりとこちらを見て。

「よろしくお願いします」

「それはこちらの台詞ですよ」

 ラピスやシトリニカにも元々の仕事があるのだ。自分が脱落するのは、単純に足を引っ張っていることになる。


ゆえに今は、体調を取り戻すのが最優先事項である。世話をかける気恥ずかしさや申し訳なさは、一旦、置いておいて。

「ラピス、よろしくお願いします」

「はい!」


      ***


 一旦、置いておくことなど出来なかった。

「スタルーク様」

「だ、だだだ大丈夫ですから!」

 ラピスの看病は、実に細やかであった。

 ひたいに乗せた氷嚢の位置から寝汗を拭くタイミングまで、あまりにも親切をきわめているために、彼はすっかり狼狽える羽目になった。


 その様子に、寝台の傍ら、椅子に腰掛けたラピスは困ったように手を引っ込めて、

「申し訳ありません……。弟が熱を出したときを思い出してしまって、つい」

「そうだったんですか。ラピスはいいお姉さんですね」

「そうだと、いいんですけど」

 構い過ぎて弟には怒られてしまったのだと、ラピスは悲しそうに言うのだった。

 その弟の気持ちが、ちょっぴり理解できてしまう。男の子というのは、へんなところで意地を張る生き物なのである。



 ……などと考える余裕がある辺り、だいぶ薬が効いてきたのだろう。侍医曰く、次の薬は夜だという。

ラピスとの会話に気持ちが安らいでいるというのもあった。彼女が故郷での話をしてくれるようになったのは、まだ最近のことであった。それだけに彼は、恋人の話に、いっそう耳を傾けるようになっていた。


 けれどもラピスは自分の話をすることに、躊躇いがあるようだった。

「あたしの昔の話なんて、つまらないですよね」

「そんなことはありませんよ。……僕は王城兵になる前のラピスの事を知りません。それを勿体なく思っているんです」

「あ、ありがとうございます」

 それじゃあ、とラピスはなおもおずおずとした口調で言うのだった。

「あたしも、スタルーク様の子供の頃のお話が聞きたいです」

「僕の子供の頃?」

「はい。あたし、スタルーク様のちいさい頃を知らないものですから」

「それもそうでしたね……」

 ラピスとは長い付き合いのように感じていたが、現実には、まだほんの数年に過ぎないのだ。そう気付くと、彼は驚いた。



「特徴のない子供でしたよ。何をしても兄上の足許にも及ばず、周囲のお目こぼしによって生きているような」

「またそうやって卑下なさる」

「事実ですから」

 彼は視線を逃がしていた。語るような過去など何もない。

 ラピスが興味を持ってくれるのは嬉しいが、肝心な自分には何もないのである。勉強を頑張った。運動を頑張った。そのたびに周りの大人達は微笑んだ。


 殿下はいとけない。それが自分への評価だった。

「あたしは、立派な御子だったんだろうと思いますよ。今だって努力家で、倒れるぐらい仕事熱心で」

「ごめんなさい」

「嫌味じゃないです。そんな方だったから、あたしもお仕えしたいと思いましたし、その」

 ラピスはそこで言い淀んだ。

 不思議に思って彼は「ラピス?」と名を呼んでいた。ラピスの方こそ熱があるのではないか。それほどに彼女は頬を赤らめて、


「……そんなあなただから、好きになったんです」

「え」



 どっと熱がぶり返してきたような気がした。その熱に目を回しながらも、これはなんと幸福な病であろうかと彼は思った。

 しかし、いかに幸せを感じていようとも、風邪は容赦がなかった。

「ごめんなさい、少し」

「ああっ!? あたしってば喋り過ぎました……」

「いえ、久しぶりにたくさんお話が出来て嬉しかったです。ラピスこそ、付き合ってくれてありがとうございました」

「そんな」

 ラピスは慌てた様子でかぶりを振る。


「おやすみになって下さい。とにかく今は、風邪を治さないと」

「そうですね。おやすみなさい、ラピス」

「はい」

 おやすみなさい、と。

 微笑って言葉を返してくれる彼女のまなざしが、彼にはくすぐったく胸があたたかく、そして熱を呼ぶのであった。


      ***


 彼は夢を見た。

 直前の会話の影響か、子供の頃の夢だった。

 彼は柱の影に隠れるようにしてうずくまっている。泣くまい、と自分を叱りつけても、涙は溢れてきた。悔し涙だった。

 その頃の彼はまだ、今ほど卑屈ではなかったのである。とくに弓術にはそれなりに自信があり、周囲が自分を認めてくれる、数少ない取り柄であると考えていた。

だが――


「やっぱり、あにうえはすごいなぁ」

 柱にうつった、自分の影に向かってつぶやく。

 彼が得意になっていた弓術は、その実、兄の方がよほど秀でていた。

 いつもの事だった。

 彼が頑張って出来るようになる事を、兄は当然のようにやってのけてしまうのだ。そうして彼はいつも、置いていかれた気持ちになる。

 弓術だけは例外だと思い込んでいた、自分が悪い。

 落ち込む必要なんてない。父は言ってくれた。彼は大人達の前では平然と振る舞った。ひとりになってから、こっそり泣いた。



 負けた相手は兄上なのだから。

 兄上は完璧な王太子で、自分は。

「殿下」

 声がして、彼は顔を上げた。素早く涙を拭う。

 相手の顔を見て、少しだけ安堵した。自分に良くしてくれる貴族のひとりであった。それで彼は、警戒を解いていた。

「何でしょうか」

「殿下のお姿が見えないので、捜しに参りました。……相変わらず、ディアマンド殿下は素晴らしい腕前でしたな」

「はい。兄上はすばらしい方です」

 彼はうなずいた。それは本心だった。悔しさとは別に、彼は兄を敬愛していた。


 ところが貴族は、大袈裟なほど顔を顰めて、

「たまには殿下に華を持たせてくれてもよいものを。そう思いませぬか」

「え? だって、勝負事は真剣にやりなさいって、父上が」

 貴族の言わんとしている事が、彼には理解できなかった。だが、今はわかる。

 貴族が自分に阿っていたのは、自分を王に仕立て上げるためで。

 一部の貴族達にとって都合の良い王とは、兄ではなく。自分のように弱々しく、つけいる隙がある子供だったのである。

 その貴族は後に行方がわからなくなった。これも今なら察しがつく。

「悪い大人の言葉を聞いちゃ駄目よ」

 と、訳知り顔で囁いたシトリニカが、妙に大人に見えた事ははっきりと覚えている。



「ん」


 そこで目が覚めた。

 自分でも意外に思うほど、きつく歯を食いしばっていた。

 白い手が伸びてくる。彼は怯えて、その手から逃れようとした。

「スタルーク様?」

「あ、……ラピス……」

 顔が見えて、ようやく思い出した。

 自分は風邪を引いて、彼女から看病を受けていたのだった。

「ラピス、僕は何か」

「寝言はとくには。ただ、うなされていました。……悪い夢を?」

「どうでしょうか……あれは」


 子供の頃の夢だったと答えれば、ラピスは気にするかもしれない。返答に窮していると、ラピスが言った。

「まさか、あたしが芋の話をし過ぎたから、お芋の怪物が夢に!?」

「そういうことではないんです」

 真顔で愕然と、本気で心配している様子のラピスだった。その様子に一瞬はきょとんとした彼であったが、次の瞬間。

「お芋の怪物って、どんな顔をしているんでしょうか?」

「きっと全身ゴツゴツで、葉っぱのお面をつけているんですよ」

「……会ってみたいかもしれないです」

「ええっ」

 ラピスが素っ頓狂な声を上げる。



「危ないですよ、スタルーク様」

「でも、意外といい人かもしれません」

「人じゃないですけど、まぁ」

 お芋って便利ですしね、と、納得するラピスであった。


 二人はその後、実在するかどうかを度外視して、お芋の怪物について話し合ったのだった。


      ***


 薄くまぶたを撫でる朝日に目を覚ました。

 二度目の朝という気がしたが、それは錯覚だった。一日中寝込んで途中に一度、目を覚ましたのである。

 そのときはラピスが近くにいた。

彼女の手を悪夢の残滓と重ねて怯えたりもした。覚えている。

(ラピスは……)

 いるはずもない。


 夜は明けた。彼はおそるおそるで身体を起こしてみる。

 不調は拭い去られていた。安堵の次にやって来たのは残念さで。

(僕が寝た後に帰ったのかな)

 そう考えるのが、自然で妥当だろう。

 自分のために引き止めておくわけにはいかない。彼女にも公務があり身体を休める時間が必要だった。

 だから――



「え?」

 だから、驚いた。

 視線の先に、桜色のものがあった。

 ラピスの頭だった。白いリボンのカチューシャを見るまでもない。ベッドのふちに突っ伏すようにして眠っている。

「ずっと、いてくれたんですか?」

 返事はない。寝息が聞こえてくる。

 微かな喜びを押し殺して、彼はラピスに近付く。起こすのは可哀想だろうか。

 彼は躊躇いがちに、ラピスの肩に触れた。華奢である。これで大剣を操る女傑なのだから信じられない。

「ラピス」

「……ん」

 ラピスがピクリと肩を震わせ、顔を上げた。


 朝日が、ゆっくりと彼女の顔を照らす。城下の喧噪が風に乗って耳に届いてくる。

 彼と彼女の目が合った。

「あ、スタルークさま」

「おはようございます、ラピス」

 挨拶を交わした後で、彼はその場に膝をついた。

「す、スタルーク様?」

「ラピス、――徹夜をさせて、すみませんでした!!」

「臣下相手に、それも病み上がりのお身体で土下座してる!? お、おやめくださいスタルーク様ぁ!」

 そんな調子で。


 彼の体調は臣下の献身によって、快復に至ったのである。

 ラピスがいる間は、微熱が続いたそうだけれども。



      ***



 そんな出来事から、しばらくしてのことである。

 彼女はちょっとした窮地に陥っていた。

(水……の、喉が渇いて)

 手を伸ばしても、カップまでギリギリ手が届かない。起き上がろうとすると、強烈なめまいが来る。自分の目が回っているというより、世界の方が回転している心地であった。

(まさかあたしまで風邪を引くなんて……)

 思えば、自分が王城兵になってから体調を崩したのは、これが初めてではないだろうか。一度、故郷に戻ったときに気が緩んで発熱したことや、軽い体調不良などはあった。

 それでも、彼女は今日まで休まなかった。

 戦場で負傷したときを除けば、一日たりとも、鍛錬を欠かした日はない。


 それだけに、いざ倒れてみると、無性に悔しかった。

 寂しい、というのもあった。

 家にいたときは、父や母がいた。弟妹がいた。幼なじみ達が差し入れにと摘みたての木いちごを持ってきてくれて。

(子供の頃以来だわ、こんなの)

 あの頃とは違っている。単身で出稼ぎに来ている彼女は、王城に親族を持たない。

 友人もシトリニカを除いて、はっきりとそう呼べる相手がいないと痛感させられる。ブロディア人はおおむね豪胆な実力主義者だが、それでも嫉妬がないわけではない。異例の抜擢で第二王子の臣下となった彼女に向けられる同年代からのまなざしは、冷ややかであった。



 否。

 彼女の方から拒んでいる部分も、いくらかはあった。

 シトリニカが紹介してくれた知人達は皆、貴族の出であり、自分の方は村娘である。それで遠慮して、距離を置いてしまったのだった。

 取り持ってくれようとしたシトリニカには悪いことをしたと思っている。自分に興味を寄せてくれた令嬢達にも。

「バチが当たったのかしら……」

 気持ちがどんどん、ネガティブな方へと向いていく。

 とにかく、水を飲もう。そして起きなくては。起きて働くのだ、自分は――あのひとのために――

「無理はしちゃ駄目よ」

 シトリニカの声がした気がした。

 起き上がろうと悪戦苦闘する間に、うっかり何度か意識を手放したものらしい。いつの間にか扉が開いて、ひとの気配がする。


 ふたり――いる、ような。

「侍医を呼んできます」

「あなたはラピスの傍にいてあげて」

「……すみません」

 控え目な声に、心臓が跳ねた。

 まさか。



(シトリニカと、スタルーク、さま?)

 本当にふたりがそばにいてくれたら、どんなに心強いだろう。

ふわふわと思っているうちにひとりの足音が遠ざかり、ひとりが残る。

「もうちょっとの辛抱ですからね、ラピス」

「はい……」

 応えた彼女の声が擦れていたので、驚いたのだろう。看病人の声が、狼狽えた調子になる。

「えっと、水! 水ならここです!」

「ありがとうございます……」

 ようやく水が飲める。手渡してもらった手に感謝しつつも、彼女は喉を潤した。

夜の間に水はぬるくなっていたが、有り難いことには違いない。

「もう一杯飲みますか?」

「のみます」

 カップに水が注がれる音。なんと心地よいのだろう。故郷の湧き水を彷彿とさせる。

「ええと、食器は……何か食べられそうですか?」

「なんとか」

 おかゆぐらいなら、と答えて。


 彼女はカップに触れようとした手を、素早く捕まえていた。

「ら、ラピス?」

「スタルークさまの手、つめたくて気持ちいいです」

 夢見心地でそうつぶやき、捕まえた手を自分のひたいに乗せた。

 声がいっそう狼狽えた響きを怯える。

「そ、そんな畏れ多い……! 僕なんかの手で涼を取ったらゴミクズがうつります!」

「そんなことないです。スタルークさまは自慢の主君で、あたしの大好きな」

 そこまで言って、彼女は瞬きをした。

 ゆっくりと視線を動かす。


 ――顔を真っ赤にしている主君と目が合った。



「あ」

 ほとんど同時に声が出た。

 それで完璧に把握した。現状を、理解してしまった。

 自分は、主君の手を氷嚢の代わりに――



「すみませんでしたぁぁあ!」

 叫んだのは、彼女よりも主君が先であった。

 彼女は慌てて手を離していた。主君が手を引っ込める。

 気まずい沈黙があった。双方とも項垂れてしまっている。

 その沈黙を破ったのは両者ではなく、シトリニカと彼女が連れてきた侍医であった。

「早く診てあげて――って、どうしたの、あなた達」

「何でもありません!」

 主君が可哀想なことになっている。

 彼女は「あたしが寝ぼけて」と言い添えていた。


 それでシトリニカは何事かを察したらしい。

「スタルーク、引き続きここはお願いできるかしら」

「ええっ!? でも僕は」

「とにかく今は、何か食べて、しっかり体力をつけないと。ラピス、食器はどこかしら」

「食器なら、向こうに……」

 そんな調子で、第一の嵐は過ぎ去って。

 公務があるからと部屋を辞去したシトリニカに続き、薬を処方した侍医も去って行った。

 残された彼女は頭を抱えていた。

(ど、どうしよう。あたしったらスタルーク様になんて事を)

 王族の手を氷嚢にするなど、前代未聞である。自分のしでかした事の大きさに、彼女は震えを禁じ得なかった。



 ところが、主君の方は、その震えを風邪のためだと思い込んでいるようであった。

「おかゆが出来ましたよ」

「あ、ありがとうございます……その」

「ゆっくり起き上がってくださいね。あ、さじは」

 指先が触れ合った。先程の動揺もあって、彼女の反応は、適切とは言い難かった。

 せっかく手渡してくれたさじが、ことりと音を立てて落下した。それを一瞬だけ呆然と眺め、彼女は慌てた。

「ごめんなさい、あたし」

「わかりました」

「え?」

「悪寒で指が震えて、巧く掴めないんですよね。わかります。僕もいつぞやはそうでしたから」

 待って。

 何を納得して、そして決意しているんだ。


 彼女はいよいよパニック寸前であった。

「あの、スタルークさ」

「ラピス。――口を開いてください」

「!?」

 確信した。

 彼女は主君の顔を見る。主君は何か、戦場にでも赴くかのような顔である。凜々しくて格好良いが、それは今は重要ではなくて。

「ラピス」

「は、はい!」

「以前、僕が熱を出したときの事を覚えていますか」

「それは……ええ」

「あのときの恩を、僕は忘れていません」

 それはだって、自分が。



 彼女は言おうとした。自分はあなたの臣下で、恋人で。

 看病を申し出たのは義務のためだけではなかった。いっしょに居たいというわがままや、弱ったこのひとを他の誰かに見られたくないという。

「あーん、してくれましたよね」

「しましたけど、それはですね。決して、恩を売るためでは」

「わかっています。ラピスはいつも僕のために力を尽くしてくれますから。ですが、今日だけは僕に甘えてくれませんか」

「……!」

 また、そんな。きゅんせざるを得ない事を言い出して。

 何かのスイッチが入ったときの主君の頑固さについて、彼女はよく理解していた。


 かと思えば、卑屈がふいに戻ってくる。

「あ……僕なんかに甘えたら頼りなくて心配になるのもわかっていますけど」

「スタルーク様」

「はい」

「……あ、あーん……」

「! ラピス」

 感激した様子で目を潤ませる主君であったが。

 この日。

 この日に食べたかゆの味を、彼女は生涯、忘れないだろう。

 看病されるのは、慣れない。この距離感だって。でも。


「あなたがいてくれたから、怖い夢から抜け出すことが出来たんです」



 ありがとう、ラピス。

 そう言って微笑ってくれるこのひとが、たまらなく好きなのだ。




 
 
 

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