途切れた想いは(FEエンゲージ スタ×ラピ)
- kazenoryu-beibei
- 2023年5月8日
- 読了時間: 8分
※邪竜の章のネタバレを含みます
それほど強い雨ではなかった。 冷たい雨がひそやかに、石畳を撫でるようにして降っていた。 ――こんな光景は、悪い夢のようだ。 あたしが知っているブロディアに、よく似た場所。 似ているのに、どこかが致命的に異なっている。その違和感が、泥濘みたいにあたしの足を捕らえて重くする。
「視界も足許も、良好とは言い難いですね」 あたしよりはよほど割り切った口調で、スタルーク様が言った。 「雨で体温が奪われると、指先がかじかんで……元々冷え性なので、この環境は厳しいです」 「なるべく早く、決着をつけましょう」 ブルブル震える主君を見ているのは心が痛む。あたしは感傷を振り払って駆け出した。 「突出し過ぎないように注意してください」 神竜様の声。あたしを含めた何人かが呼応する。
ここはあたし達の知る世界ではない。ソラネルの井戸が、竜の呼びかけによって異界への門へと変じた。その門の先にあった世界である。 それだけ聞くと、いかにも現実味のない話だ。 もっとも、あたし達はすでに、千年もの間眠っていた神竜様が、自分達の代で目覚めるという奇跡を目の当たりにしている。その、大きすぎる希望を思えば、多少の不思議も受け入れられてしまうのだった。 冷たい雨が降っている。 衣服や髪にまとわりつき、じわじわと侵食してくる感触。道は所々が破損して、瓦礫が散らばっている。
「左へ」 神竜様の指示で、全員が同じ方向へ駆ける。 敵の攻撃は突如として始まった。上空が騒がしくなったかと思うと、鷲獅子や飛竜に乗った兵達が殺到してきた。繰り出される槍をかわすうちに、陣形が崩れた。 「いけない、味方から離れては」 神竜様の声を遮って、轟音が轟く。遠距離からの砲撃だと気付いたときには、瓦礫の山が爆ぜて、それらが爆風と共に襲いかかってくる。 敵は素早く空に逃げて、歩兵が中心の味方軍だけが被害を受ける形になった。味方の悲鳴を聞きながら、あたしは敵兵を睨む。
訓練された動きだった。この世界のブロディアは戦嫌いらしいが、軍事力に関してはあたしの知るブロディアとまったく遜色がなかった。 むしろ、他国からの侵略を徹底して嫌った結果、橋の左右には櫓が積み上げられ、砲撃はその櫓から行われているようだった。 スタルーク様のように体温の低下を嫌う飛竜や、翼が水に濡れるのを嫌う性質を有しているはずの鷲獅子が、主人の命令に忠実なのも驚きだ。もっとも、動き自体はいくらか鈍っているようであったが。 「そうだ、スタルーク様は」 「僕は無事です!」 後方で声がした。あたしは安堵する。
スタルーク様はかなり離れた位置に立っていた。あの位置なら、砲撃には巻き込まれなかっただろう。 こちらに駆け寄ってこようとするので、あたしはそれを制する。ところが彼はそれを無視して、すぐ傍までやって来てしまった。困ったひとだ。 気遣わしげな視線が、あたしへと向けられる。 「ラピスは大丈夫ですか」 「はい。お互い無事で何よりです」 あたしはそう応えて、視線を主君から上空へと戻す。
「さぁ、かかってきなさい!」 あたしはキルソードを構え、敵兵が降下してくるのを待った。上空を旋回していた竜騎士が、雨の飛沫を払うように、勢いをつけて突進してくる。 砲撃も続いている。立て続けに響き渡る轟音にも怯まずに、味方の重騎士が大盾を構えて先陣を切る。その後に神竜様達が駆けていくのが見えた。 あたしはその場に留まって、こいつらの相手だ。 「グリフォンナイトの相手は任せてください」 「お願いします!」 スタルーク様に背中を守ってもらえるのは、いつだって安心する。勿論戦場でぜったいなんてことはない。万が一の事態は、きっとお互いに覚悟しているはずで。 それでも、あたし達はお互いを守り合う。
「――ラピス?」
向かってくる竜騎士の、何体目かを仕留めたときだった。 声がした。はじめて聞いた声だというのに、あたしは意識を惹かれずにはいられなかった。 あたしは、見た。見知った姿。 けれども何かが違っている、その姿。 この世界のスタルーク様だった。
***
「格好良かったなぁ、この世界の僕……」 雨は止んだ。戦いも終わった。 次なる目的地を目指す旅路の途中。スタルーク様は珍しく興奮した様子で言うのだった。 あたしは歩く速度を少し緩めていた。 「異世界のご自分、ですか」 「はい。僕は自分に打ち克ってみせる――なぁんて。あんな風に、僕も強い心を持って生まれたかったなぁ」 「スタルーク様は強い心をお持ちですよ」 確かに卑屈で、ともすれば臆病にも見えかねないけれども。
それは違うとあたしは知っている。 「そのままで、スタルーク様は充分素敵です」 「そ、そうですか? ありがとうございます、ラピス。……でも、現状維持では駄目なんです。僕はもっと強くならないと」 よほど異界のご自分に触発されたらしい。あたしは苦笑した。 ポジティブな分には、いい影響なのだろうし。 それに、とあたしは思う。
――君に、僕が王として即位する姿を見せたかった。
弓矢をつがえたまま、あのひとが言った言葉だ。 この世界のあたしはすでに亡くなっている。あのひとを守って、死んでいったようだ。 あたしはこの世界のあたしを知らない。 いったいどんな性格で、何を考えていたのか。 だけど、これだけは言える。 この世界のあたしも、このひとのことが大事だったのだろう。自分の命よりも、ずっと。 満足だったに違いない。
だけど、残されたあのひとは―― 「あ、でも、兄上にあんな口を利くのはどうかと思います! それに、玉座を奪おうとしていたなんて」 「この世界のあたしに、見せてくれるつもりだったそうです」 「ラピスに?」 この世界の主君は野心家だった。 それを、この世界のあたしがどう思っていたのか。何もわからない。 推測しようにも、そのための材料はひとかけらもないのだから。
「僕は王弟として頑張ります」 むん、とスタルーク様は気合いを入れて見せた。 「見ていてくれますか、ラピス」 「勿論です」 こちらのあたしが、見届けられなかった分も。 内心でそう続けたところで、早く、という声がした。気付けばあたし達だけ、ずいぶんと遅れてしまっている。 「今行きます」 そう応えて、この場の会話は終了したのだった。
***
あのひとの目が忘れられない。 異世界のスタルーク様。 あたしはあのひとを知らない。異世界の自分を知らないように、主君もまた、あたしにとっては未知の存在だった。 「シトリニカ……」 あたしは同じ天幕に寝起きしている、相棒の名前を呼んだ。 返事はなかった。彼女は疲れて眠っていた。 あたしはまばたきをする。濃い闇が視界を覆っている。
夜。 それもたぶん、まもなく日付が変わるか、もう変わったかというような時間なんじゃないかと思う。 あたしは固い寝床の中で寝返りを打ち、結局、起き上がっていた。 眠れない。直前まで見ていた夢も、昼間の光景の再現だった。 恨んで出てきたのかと、あのひとは言った。 守ると約束したのに、守れなかった自分を恨んでいるのかと。
驚いた。同時に誇らしかった。 この世界でも、スタルーク様はスタルーク様なのだと。そうして、それ以上に悲しかった。 自分は満足して死んだ。だが、彼は、終わらない罪悪感に囚われてしまった。この世界のあたしは気高く、無責任だった。 深い悔恨の滲んだ、あの目。 言葉は懺悔のようで、あたしは。 ――あたしには、あのひとを救えない。あのひとの知るあたしではないから。もう、この世界のあたしは終わってしまった存在なのだ。
主従の絆は断たれた。永遠に。 「ラピス?」 相棒の声。シトリニカが目を開いて、こちらを見ていた。 「眠らないの?」 「あ……うん。ちょっと、考えごとをしていて」 「昼間のこと?」 「え?」 見抜かれている。あたしは反応に困った。
シトリニカがうっすらと微笑う。 「ラピス、こちらに来て」 「シトリニカ?」 「大丈夫だから」 そう言って手招きをする。 あたしは怪訝に思いながらも、彼女に従った。寝ているシトリニカの隣に腰掛ける。 シトリニカの手が伸びてきた。 ぽん、と。 彼女の手が、あたしの頭に乗せられて。
「頑張ったわね、ラピス」 「……!」 その一言で、あたしの感情は決壊した。悲しみと無力感を主成分とした感情の波が、どっと押し寄せる。 涙が溢れてきた。 「シトリニカ、あたし……あたしはっ」 「泣いていいのよ、ラピス。眠くなるまで、泣いていいの」 慈母のように彼女は言う。年が離れているわけでもないのに、こんなにも相棒が頼もしく思えて。 この涙は、誰に向けたものだろう。 あたしは今、誰を思って泣いているのか。誰も救えない、何の意味もない涙。 意識が睡魔にさらわれるまで、あたしは泣いた。
訪れた眠りは曖昧だった。 シトリニカの寝床にお邪魔したままだったなという、大事なのか大事でもないのかはっきりしないことを考えて。 シトリニカの寝息が聞こえてくる。それがあたしの意識を、優しく包み込んでいた。 眠りのふちに座りながら、あたしは思い出す。 そういえば、昼間。会話を切り上げた後でスタルーク様が何か呟いていたような。何だったっけ。 小声であったため、あのときは聞き取れなかった。 それが、今になって理解できた。 ――この世界の僕の分まで、僕がラピスを守りますから。
だからどうか、ご自分を責めないでください。 あたしはあなたを恨んでいません。 あたしは臣下としての本懐を遂げたのです。……ああ、でも。 夢を叶えて微笑うあなたを、見損ねてしまいました。 それだけは残念です。
頭の中に、そんな声が聞こえてきて。 あたしは目を開く。 誰もいない。 シトリニカは眠っている。 そして、今の声は、あたしのものだった。自分の声を、聞き間違えるはずがない。 天幕の入り口に、気配があった。 誰かが、しずしずと去って行く気配――桜色の髪が、一瞬、見えたような気がして。
「……あなたも言いたいことがあったのね」 闇に向かって、あたしは微笑んだ。
これは誰も知らない、あたしとあたしだけの秘密。
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